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about 「オーナーのzio」

早い話が、自己紹介です。

1970年生に神奈川県相模原市で生まれました。その後、3〜5歳まで父親の仕事の関係でローマに住んだのが、イタリアとの最初の関わり合いとなります。

イタリアから帰国後、千葉県の田舎町に引っ越しました。そこで小中高と過ごし、大学入学を機に上京。ちょうど昭和から平成へ年号が変わった時期です。

大学卒業の前年にバブルが弾け、つぶしの利かない学位(日本大学芸術学部写真学科)だったため就職先が見つからず、溶接工のバイトなどをしながら次の何かに備えていた気がします。

1996年3月、その“何か”を感じてイタリア中部トスカーナ州の古都シエナに向かいました。そこでイタリア語を学び、一旦帰国した後、1998年にエミリアロマーニャ州の州都ボローニャの大学へ入ります。

そうそう、イタリア語で“zio(ツィオ)”は「叔父さん」という意味ですが、オーナーのzioの場合は名前の綴り(TSUYOSHI)がイタリア人的に読めない&発音できない&読めて発音できても長いため、「ツヨシ」の「ツヨ」に近い「ツィオ」が呼び名として採用された、というのが由来です。以来、zioをハンドルネームとして使っています。

ボローニャ大学は込み入った事情があったため、2年で中退しました。帰国後、ひょんなことから自動車関連の雑誌の編集を手がけるプロダクションに入ります。それが1999年のこと。しかし編集プロダクションで下働きをしていた頃、ボローニャで当時流行っていた寿司店の料理長を任されていた知り合いから「人手が足りないから手伝って欲しい」と連絡がきます。

そして2000年3月、再びボローニャへ。その時知り合ったのが、BISKEROのコーヒーを焙煎している伊藤珈琲豆販売所の彼です。

ボローニャの寿司店では1年半ほど働いていたでしょうか。再び込み入った事情があったため2003年の夏に帰国。写真は寿司店を辞める少し前に撮ったものです。一緒に写っているのは寿司店の共同オーナー(左)とクラブのボディガードなどをやっていたその友人(中央)で、右端でおちゃらけたポーズをとっているのがzioです。

帰国後、以前お世話になっていた編集プロダクションに出戻ります。それから20年、雑誌の編集や記事の執筆、企業が発行する自社媒体の立ち上げ、各種カタログの構成、広告など、紙媒体を中心に仕事をしていました。

高崎へ来たのは2013年2月です。またまた込み入った事情があって、新天地を求めどこへ住もうか考えた結果、東京から100km圏内かつ新幹線と高速道路の両方使えるということで、特に縁も所縁もない高崎に引っ越して来ました。

ボローニャの寿司店を辞めて帰国したころから、いつかはイタリア生活の経験を活かした飲食店をやってみたいと考えていました。結局、それを実現するまでに20年もかかってしまったのですね…。